綿飴と水飴

綿飴と水飴

140字にまとめられない好きな音楽のこと

本当に何もかもが辛いとき

連日の暑さのせいか全然食欲がない。弁当も昼休みにまったく手を付けれなかった。

それだけじゃなくってここ最近ずっとしんどい。心の方が。ここ最近どころか3年近くこの状態。何やってもダメ。何年厄年やってんだろってくらい。

 

こうなって来ると頭の中は常に悪いことばっかり考えてて、「あれやらなきゃ、これもやらなきゃ」ってカレンダーを見ながら勝手に追い込まれていく、そんなにやることないくせに。それだけじゃなくて過去の辛かったことや思い出したくなかったことまでポンポンと浮かんでくる。自分が原因でどうこうなったとか、どうこうされたとか。やって後悔したこととか、やらなくて後悔してることとか。どうせあの人やあの人やあの人はもう覚えてすらないんだろうけど。馬鹿馬鹿しい。情けな。

 

人と話しても後になって「なんであんなこと言ったんだろ」「もっと気の利いたこと言えないかな」とか思い返すし、些細な一言も勘ぐってしまっては勝手に落ち込んでる。

 

嫌いなあいつのことも口では「別に気にしてない」とか言ってるけど、こうも心に余裕がないとそいつの言動がいちいち感に触って余計嫌いになって、それに苛立ってる自分に気づいて「小さい人間だなぁ」と自己嫌悪になる。思いついたことを頭のフィルター通さずすぐ口にできるの羨ましいよ。嫌味じゃなくて本当に。そんな人間に生まれてきたかった。誰か遺伝子書き換えて。

 

こんなことを常に考えてるから頭の中はPSPがずっとロードされてる感じ。カシャカシャ―って。うるさい。勘弁してくれ。

 

「お前暇そうじゃん、何が辛いんだよ甘えやがって」とか思われるかもしれないから溜めてるものも発散できないでいる。周りからどう見えてるのか分からないけど自分なりには余裕ぶって振舞ってるつもり。結局世間体ばっかり気にしてしまう。頼み事は断れないし。あれどうやって断るの?ぜひコツ教えてほしい。

 

「嫌われる勇気」なんてクソみたいな言葉ありますけど勇気を持って嫌われた後のこととか保証してくれんの?代わりに友達になってくれるんですか?そもそも自然体でいられる人たちってそんなこと考えてるわけがない。羨ましい。

 

 

そんなこんなで今日は講義受けて、研究室行ってやることだけサッとやって早めに帰宅して、手を付けれてなかった弁当をそのまま捨てるも悪いのでとりあえずおかずだけでも食べようとチビチビつまみながらなぜかフジファブリックの『まばたき』を聴いていた。ちょうど動画と同じような景色を家の居間から見ていた。

ぼーっと窓見ながらこれを聴いてたら、今朝売店で買った140円のパンが表記ミスで実は130円で10円得した気分になったこととか、BBQをやる約束をしたこととか、古着屋でコロンビア代表のジャージ見つけたこととか、釣りが趣味になりつつあることとか、キャンプの計画立ててることとか、ちょっとずつアコギが弾けるようになってることとか、後輩が研究手伝ってくれたこととか、こんな拙文なブログでも好きだと言ってくれる人がいることとか思い出して、「意外と良いこともあったじゃん」なんて思った。

例えばセンチメンタルになった日だったりとか、人を結果的に裏切ることになってしまった日だったりとか、嘘をついた日だとか、いろんな日があると思うんですけど、そんな日のたびに立ち止まって色々考えてたんです僕は。

それはちょっともったいない気がしたんですよ。だったら、なんかBGMとかを流しながら、歩きながら、感傷に浸るってのが、得じゃないかなと思って。

止まってるより、歩きながら悩んで、一生死ぬまで、楽しく過ごした方が、いいんじゃないかなと思って。いやぁ~26、7になってようやく気付きまして。

これは故・志村正彦の言葉である。違う曲の紹介ではあるんだけどまさにこれだなと思った。

人間なんだから悩みや後悔なんて大きなことからどうしようもない小さなことまで一生付きまとわってくるんだろうし、その度に考え込んでしまうんだろうけど、こうやって音楽聴きながら感傷に浸れば嬉しかったこととか楽しみなことにも目が向けられるかもしれない。

 

そういったBGMを紹介し続けれるブログでありたいという話、暗い話してすみませんでした!!!アディオス!!!

 

瞬きを三回してる間に
大人になるんですと 君が言った

今日も 昼と夜がずっと
晴れたままで 冬が終わる

わがままな僕らは期待を
たいしたことも知らずに
手招きをしている未来のせいで
家をまた出る

 

「まばたき」作詞:志村正彦、作曲:山内総一郎